冗談交じりに語る専門家だが、当時の大学受験は過酷で、団塊の世代が受験期に達し、「史上空前の数の大学浪人」が出た時期でもある。多忙な銀行勤務のかたわら、受験勉強しても歯が立つものではなかった。銀行での担当は計算係。膨大な量の伝票を勘定項目別に仕分けし、起票する。一日のお金の収支を計算して、最終的に貸方、借方ゼロでトントンになればOKというのを毎日繰り返す。商業高校出身ではない専門家にとって、簿記や会計の知識もなく、計算を合わせるのは大変な負担だった。しかも、外国為替の決済まで担当する話が持ち上がった。自分では一所懸命努めていたつもりだったが、仕事があまりにもハードなのと責任の重さで、自らの適性を考え直すようになったという。「どうしようもなくなって、地方銀行に勤めていた兄に『辞めたい』と相談しました。父親がいなかったので、七つ年上の兄が親代わりです。公衆電話から『実は……』と話をしたら、『そこまできつかったら辞めろ、辞めていいぞ。まだ若いんだから、どうにかなるだろう』といってもらえました。」